Curious Cat

RAYCRISIS

Episode 1

第1話 ラベンダーの咲く庭

 ふと目が覚めてそこが間違いなく娘のドナの眠る病室であることを確認すると私は大きなため息をつかずにいられなかった。ついさっきまで夢の中であんなに無邪気にはしゃいでいたドナが、現実の世界では、無機質に張り巡らされたパイプやらコードやらでベッドに縛りつけられていたのだ。その姿は痛々しくて何度見ても胸が痛んだ。出来る事なら自分が身代わりになっても構わない。今まで何度そう考えたことだろう。その度に真剣に神様に祈りを捧げたが信仰心の薄い私に神様が願いを聞きいれてくれることはなかった。もう一度大きなため息をついて、ベッドを離れて空気を入れ替えるために窓に近づいた時、窓の外からこの病室を見上げている一人の青年の姿が目に入った。娘の知り合いなのでは、と思って声をかけようとしたが、私が窓に手をかけた途端に消えるように立ち去ってしまった。どこかで見たことがあるような気がしたが恐らく人違いなのだろう。それよりも私の気持ちを奪ったのは、中庭の花壇に植えられている目にも鮮やかな紫色のラベンダーだった。窓の手摺によりかかりながらその花を見つめ、あの日の出来事をぼんやり思い出していた。

 そう、娘の小さな変化に最初に気づいたのはちょうど今頃の季節、昨年の初夏の頃だった。長く続いた雨があがり、久しぶりの月を眺めながら、二人でただぼんやりと庭にたたずんでいた私は何だか落ち着かない気持ちでいた。いつもはべったりと甘えて腕にからみついて離れないドナが、人が変わったようにおとなしくじっと思いつめたように空を見上げたままだったのだ。母親のいない娘に普通以上の愛情、溺愛といえるかもしれない愛情、をそそいだためか、どこか気分屋でわがままな一面があったが、二人きりの時にこれほど物思いにふけっている娘の姿をみるのは初めてだった。私が沈黙に耐えかね、努めて明るい声で、来週予定していたピアズ・パークへの旅行を話題にしようとしたその時、娘が小さな声で呟いた。「私もあの月から地球のあなたに手をふったのよ。」その声は背筋が冷たくなるほど私を驚かせた。何故ならばその声は死んだ妻の声そのままだったからだ。金縛りにあったように身動きもしない私を見て、娘は何もなかったようにクスッと笑って、顔をのぞきこんだ。「どうしたのパパ?おばけでも見たみたいな顔して。」その声はいつものドナのものだった。

 今になって思い返せば、そのセリフがそれから起こったすべての出来事を暗示していたのだが、その時にはただの思春期の娘にありがちな気まぐれな夢想癖だろう、というくらいにしか考えていなかった。しかし、ドナは夢想家などではなかったし、何よりも現実から想像の世界に逃避するような少女趣味は持ちあわせていなかった。むしろ人並み以上に現実的で理論的で建設的で実践的で、科学者の性質を父親と母親の両方から受け継いでいる聡明な娘だった。しかし、その日を境に娘は少しづつ変わっていった。何の脈絡もなく意味不明な言葉を呟いたり、子供には不似合いな、というより理解不能なはずの大脳生理学の臨床データや医療システム、古代宗教や線形数学などの専門書を読み漁ったり、かと思うと夜中にベッドにもぐりこんできては朝まで延々としゃべりつづけたり、といった具合だった。娘の寝室から誰かと会話しているかのような独り言は毎晩のように繰り返された。初めの頃は、母親のいない寂しさが原因だろうとか、これはドナに限ったことではなく普通の思春期の少女では当たり前の事なのだと思い込もうとしていたが、その傾向に拍車がかかるにつれて、不安や心配は膨れ上がり、遂に精神医療の専門であり大学時代の同僚だったジョディに相談にのってもらうことにした。ジョディは、学生時代からの良き友人でありライバルでもあり、私が医療現場を離れ未知の領域である“宇宙空間における生態系の変化”を研究するプロジェクトに志願し、大学病院をやめるまでの一時期はとりわけ特別な女性でもあった。やがて私が担当したプロジェクトDDに参加していたドナの母親、カレンと出会い結婚してからは、家族ぐるみの友人でもあり我が家のカウンセラーとなり、特に、妻の乗った探査船が冥王星を出発直後行方不明になった時に、毎晩のように励ましの電話をくれたのも彼女だった。そして、13人の乗組員全員死亡という最悪の宇宙船事故が確認された時、一晩中、いっしょに泣きながら背中をさすってくれたのも彼女だった。いや正しくは全員死亡ではなく生存者が一名いたのだが…。そう、それが宇宙空間での出産という臨床実験の結果生まれた私達の娘。ドナだったのだ。
5時間にも及ぶ催眠カウンセリングの内容そのものは私にも教えてくれなかったが、私が想像していた以上にドナの心の闇に潜む魔物は巨大で強敵だ、ということだけはジョディの焦燥した表情からも判断できた。ただ彼女は「宇宙船内で起こった何かがドナの精神に影響を与えているのかもしれない。」とつぶやいた。意外だったのは、ドナに集中治療のためにしばらく学校を休まなくてはならないという事実を伝えた時、嫌がるどころかむしろそれを望んでいるかのように微笑んで、それを受け入れたことだった。一週間後、ジョディが自宅で大量の睡眠薬を飲んで自殺した。原因は不明だ。私は始まったばかりのドナの検査につきっきりでその受け入れ難い悲劇を悲しんでいる時間もなく、それはある意味で私にとっての救いだったのかも知れない。

 検査を始めてから3週間程経過した。いよいよ明日は大学病院の“WAID”と呼ばれるホストコンピューターによる脳波の解析が行われる、という担当医の事務的な通達を傍らで聞いていたドナは「いよいよね。」という言葉を口にした。その響きがピクニックにでもいくような感じだったので、担当医は一瞬顔を曇らせたが、無邪気な子供に合わせるように、「あっという間さ。すぐに終わるから心配いらないよ。」とおどけて見せた。しかしドナはそれを無視して、 WAIDのセキュリティー管理についてあれこれと質問をしたのだった。その夜、私はドナといろいろな話をした。本当にこの娘は病気なのだろうか、と疑問に持つほどそれは楽しく充実した時間だった。あまり夜ふかしもできないので後ろ髪をひかれる思いだったが、その日は10時には病院をあとにした。翌朝、検査室にいく前にドナが珍しくキスをせがんだ。そして、愛してるわ、というセリフのあとに、パパ、ではなく、レスと囁いたのだった。それは妻が好んで使っていた私の愛称だった。さらに私の耳元で不可解な言葉を続けた。「葦の船に乗るのはあなたと私なのよ。」

 そうして私は一年以上もドナを待ち続けている。彼女がWAIDとアクセスした3時間後、WAIDと接続されている国の主要機関に設置されているコンピュータが次々とハッキングされ、防御プログラムを始動させた途端、WAIDのすべてのシステムがダウンしたのだ。政府の諸機関は混乱を極め、無秩序にだされるダミーのコマンドによって各地区の核ミサイルを制御するコンピュータが誤動作を起こしているという情報も伝わっていた。その瞬間からドナも原因不明のままWAIDに取り込まれ、今日まで彼女の瞳が開かれることはなかった。窓の外に見えるラベンダーはそのなつかしい娘の瞳の色に思えた。こんな小さな娘ですら心の中には宇宙のように無限の闇を抱えている。それを考える時、必ず妻が飽きるほど目にしたであろう永遠の宇宙空間の旅をも想像せずにはいられなかった。そして、その闇の前ではたとえ恋人であろうと肉親であろうと、それはちっぽけで無力な存在なのだ。私は結局二人の事を判っているつもりで何も判っていなかったのではないだろうか?そんな自責の念にとらわれずにはいられなかった。その時、ふとベッドの脇においてある小さな本棚が目に入った。そう、私は娘の愛読していた本を読んだことさえもなかったのだ。手を伸ばしその中の一冊を開いてみた。それはシュメール文書の解説書で、パラパラとページを開くとあるところに何度も何度もマーキングしている箇所があった。そして私はコーヒーを一口すすり、その本を読み始めた。

 翌朝、私はある決意を秘めて研究所に向かっていた。その決意とはWAIDに侵入する事だった。もちろん私は“ダイバー”ではないので能動的にはネットワークに侵入することはできないし(ダイバーとは自分の肉体領域をコンピュータやネットワーク上に拡大して現実世界と同様に活動できる特殊能力者。)、法的に許されてもいないが、昨夜突然訪ねてきた特殊警察に所属しドナの友人を名乗る青年の提案を受け入れることにした。それはWAIDに逆アクセスを仕掛けるというものだった。彼の狙いが何かは判らないが娘を取り戻すという部分については両者の利害は一致しているようだった。もっとも理論的にそういった行為が可能だとしても現実世界に戻れるという保証はどこにもなかったし、ましてドナを連れて帰る自信は1%にも満たなかった。しかし、昨日の夜考えた推論がもし真実だとしたら…。ドナにその事を確かめずにはいられなかった。その上で、どうしても彼女に伝えておきたい事があるのだ。公園のカーブを大きく回った所で、亡くなった妻が最後に残した手紙の結びの言葉を思い出した。もっとも、その言葉は今日までずっと意味が分からなかったのだが…。「さよなら、いつかあの場所で会いましょう。」緑の木々で埋め尽くされた丘を超えて、ようやく妻の言った<あの場所>が遠くに見えてきた。
CDブックレットに載っているZUNTATAオリジナルストーリーです。
タイトルからも分かるように、メイン4曲…つまり4話あります。
クライシス~フォースの舞台は(PS版レイクライシス攻略本のインタビューによると)異世界のはずですが、このストーリーでは『地球』と出てきます。

4話共通して言えることなのですが、原文での段落は1マス空けと1マス+1行空けの2パターンがあります。文章が長くWebだと読みづらいのでこのコーナーでは全て1マス+1行空けとしています。わざわざ改行されているのに1マス空けていない箇所はそのまま反映させています。
また、“事/こと”“時/とき”“為/ため”等が漢字と平仮名がごちゃ混ぜになっているのもそのまま載せてあります。
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