Curious Cat

RAYCRISIS

Episode 3

第3話 女の子にはセンチメンタルなんて感情はない

 僕がドナと出会ったのはまったくの偶然であった。その頃、僕は担当教授へのあてつけのつもりで宇宙創造理論におけるビックバンの可能性を否定したレポートを書いていた。その資料を探すために何度も図書館に通っていたのだが、そこのまぬけな受付係が彼女の本と僕の本を間違えたことから二人の物語は始まる。「ちょっと待って。」という声に振り向くと、ジュニアハイスクールの制服を着た小さな女の子が、息をはずませて立っていた。「それ、私の本。」とそれだけ言うと僕の借りるはずだった「ヴェリコフの宇宙誕生」を差し出し、代わりに僕の持っていた本を乱暴に奪い取った。胸に抱えたその本の表紙には「人類創世紀の彼方に」と書かれていた。そのタイトルと彼女の外見があんまり似会わなかったのでまじまじと彼女を見つめると、あわててその本を後ろに隠して、走って行ってしまった。それからは、ちょくちょく図書館で彼女と顔を合わせ言葉を交わし始め、論争したりする間柄となった。テーマは何万光年レベルまで離れた遠距離恋愛の話や、天王星で見つかった食用の星型くらげの話や、ぱっとしなくなった宇宙カウボーイのTVシリーズの話なんかだった。傍目には年の離れた不思議なカップルだったろうけど、僕らは一向に気にもしなかった。もちろん恋愛なんてしろものじゃなくて、ただ何となく同じ類型に属する匂いみたいなもんをお互い感じとっていたのかもしれない。いつしか僕らは人には絶対に話せない秘密についても打ち明けるようになっていた。そして僕の決定的な秘密。他人には絶対に知られたくないその秘密について打ち明けた時の彼女の反応は忘れられないものだった。「それって特別なことなの?」彼女は僕の打ち明け話を一通り聞き終わった後に何もなかったようなあどけない表情でそう答えたのだった。それは僕がナイフでりんごがむける事を告白した後ではなく、僕が「ダイバー」である事を告白した後の事なのだ。そこで僕はその特殊能力について彼女に解説した。確かにダイバーである事はそれほど恥ずべき事ではないかもしれないし、むしろコンピュータによる政治決定が行われる今、そのシステムとネットワークを管理し防御する「ネットポリス」の特殊部隊の一員として活躍している事を考えれば、逆にその事を誇るべきなのかもしれない。だけど現実はそう単純でもなかった。まずノーマルな人間は自分と大きく違う人間を忌み嫌い無意識に排除しようとする。いわれのない差別を受けるのだ。そして何よりもダイバーであることを第三者に打ち明ける行為は、ネットポリスの職務規定として厳重に禁止されているのだ。

 そう、僕はその時すでにネットポリスのエージェントだったのだ。そんな危険を冒してまでドナに打ち明けたのだから当然、かなりの驚きがあると予想していたのが肩透かしを食らってしまった。むしろ「実は私もダイバーなの。」という彼女の告白で衝撃を受けたのは僕の方だった。話を聞くと、彼女も不完全ながらもdive能力を有しているらしく、力を自由自在にコントロールできないものの何かのはずみでネットワークにつながる事ができるらしかった。そこで僕は、このことは絶対に二人だけの秘密である事。厳重に管理されているネットワークには近づかない事。また、そこで知り得た情報はすべて記憶から消去する事を約束させた。ドナはその決め事に不服そうな顔で抗議しようとしたが、僕の真剣な表情を見て渋々了承してくれた。本来ならばこの一件は本部に報告すべき義務があるのだが、そうしたくなかった。確かに自分の仕事の意義や重要さについては誇りを持っていたが、それによって失うものの大きさも実感していたからだった。一人の人間に関わるすべての情報に触れる、ということがどんなに苦痛を伴う作業であるか、を。時には家族や友人や尊敬すべき人物の裏の情報に触れなければならないのだ。一方、現実世界では就職や結婚についてさまざまな制約を受け、思想や哲学・宗教については厳重なチェックを受け、半ば洗脳にちかいカウンセリングが施されるのだ。そんな人生を彼女に与えるのは嫌だった。

 そんな事があってから二人はさらに急速に近づいていった。気がつくと僕は肉親以上の愛情をもって、ドナに接していた。出会って一年たった頃には実の妹以上に彼女のことを理解することができた。ただ一点を除いては…。それはドナの父親に対する愛情についてだった。ドナは将来結婚したい相手として自分の父親の名前を挙げたのだった。それは決められた運命だと言いきっていた。その時の彼女の横顔を今でも覚えている。ぞっとするほど大人びた冷たく美しい横顔…。その話題はそれきりだったが、彼女を知れば知るほど、父親に対する異常なまでの愛情を感じずにはいられなかった。そして最後に彼女と会った日、正しくは現実世界であった最後の日、彼女は夜中に突然私の部屋へやってきてたわいもないおしゃべりを始め、次に睡眠薬がたっぷり入ったコーヒーをご馳走してくれた。目が覚めたのは次の日の夕方で、コンピューターのモニターに彼女の書き置きが残されていた。<ごめんなさい、こんな形でお別れすることは本当につらいことです。あなたには最初から利用するつもりで近づきました。その事については弁解のしようがありません。私が欲しかったのはWAIDをはじめとするメインシステムのロックを解除するキーです。あなたを裏切ることは本当に辛かったのですが、わたしが明日WAIDに侵入するためにはどうしても必要なものなのです。あえて言い訳するならば、これは私の中に潜むもう一人の私の仕業なのです。彼女は私にさまざまな指示を出し時には私の体を借りて勝手に行動します。その理由のすべてはネットワーク上の死んだ母親のデータベースの中にあるようです。私は私自身の秘密をすべて知りたいのです。たとえ、それがどんなに忌まわしいものであったとしても…。しばらく私はダイビングに出かけます。そこは南の青い海でなく真実という名前の底知れぬ海です。探さないで、といっても無理でしょうが、できれば向こうでは会いたくありません。それでは私は行きます。親愛なる「兄」に愛を込めて、ドナより。
PS:私の中のもう一人の彼女と唯一見解が一致しているのは、女の子にはセンチメンタルなんて感情はない、ということだけです。ドナより>

 それから一年近く過ぎたが彼女の希望通りネットワーク上で出会うことはまだなかった。というより近づくことすらできなかったのだ。ダイバーとしての彼女は未熟どころかむしろ卓越した戦闘能力を有しており、肉体に進入したウィルスのように増殖を続け細胞を破壊し続けた。気がつくと彼女はネットワーク上のあらゆる悪意を統合し巨大な癌細胞のように君臨していた。彼女のいう決められたシナリオの最終目標がすべてのシステムの壊滅と軍事施設のシステム占拠であることはもはや疑う余地がなかった。それが何のためなのかは誰にもわからなかった。彼女の母親のデータベースはそっくりそのまま彼女に持ち去られてしまっていたし、彼女の記録として残されたデータはどれもこれも役に立たないものばかりだった。もちろん僕自身の望みは本当のドナを取り戻すことだが、ネットポリスという組織にとって彼女は破壊すべきターゲット以外の何者でもなかった。今や人類の存続そのものが重大な危機にさらされているのだ。手段を選んでいる余地はもうなかった。ぎりぎりまで追い詰められた僕は最後の手段としてドナの父親を利用することにした。父親に対する強い愛情を人質にすれば、彼女の行動を止められるかもしれない、そう思ったのだ。

 その日、父親であるレスリー・マクガイア博士とは病院で待ちあわせる事にした。正門にある古びた煉瓦のベンチに腰をおろした途端、深緑色のスポーツカーに乗って彼は現れた。正直ほっとした。彼が本当にやってくるかどうか自信がなかったのだ。もちろん博士には今ネットワーク上で起こっている事件については一切話していない。娘さんを救助する為にあなたがDIVEする必要がある、としか言わなかったのだ。何かを感じ取っているのか、もしくは明確に何かを知っているのかはわからないが、博士の表情からは特に不安な様子はうかがえなかった。早速病院の検査室に入り彼にいくつかの注意を与えた。立会いの医者は面倒に巻きこまれた事を恨んでいるようだったが、作業はてきぱきと行われていった。すべての装着を終えてカプセルに入る前にドナの父親に一つだけ聞いておきたいことがあったことに気づいた。「博士、唐突な質問で恐縮ですけど、女性にはセンチメンタルなんて感情はないんでしょうか?」博士はしばらく考え込んだまま宙をみつめていたが、こう返事した。「ずいぶん昔の話だが、ある女性に腹が立ってこう言ってやったことがある。<女ってやつは目的を達成する為には手段を選ばないのか>ってね。彼女はすぐに笑ってこう言い切ったよ。<女の子にはセンチメンタルな感情なんてないのよ>ってね。それ以来、それが彼女の口癖になったよ。そして、どうしたわけかその鋼鉄女と私は結婚することになったんだ。亡くなった妻の話さ。」

 その話を聞いて僕は突っ立ったまま身動きもできなかった。もしかしたら、僕は大きな勘違いをしていたのかも知れない。僕が妹のように考えていたドナは…。そう考えるとすべての辻褄が合う。その事を博士に伝えるべきなのか、頭が混乱してどうしていいのかわからなくなってしまった。その困惑した顔を見て博士が救いを差伸べるように僕の肩に手をおいた。「何も言わなくていい。そろそろ行こうか、ドナが待っている。」

 どうやら、博士もすべてを察しているらしかった。博士の後に続いてカプセルの中に入ると、僕もヘッド・コミッターを被り目を閉じた。全身の神経を集中するといつものように後頭部が痺れたようになり、“そいつ”はやってきた。一瞬にして僕等は仮想世界のネットワークに投げ出され、すべてがゼロと1だけで構成される乾ききった砂漠の旅人となった。
CDブックレットに載っているZUNTATAオリジナルストーリーです。
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